クラウス・キンスキー基礎講座
クラウス・キンスキーってどんな人? 本名 Nikolaus Gunther Nakszynski

1926年10月18日ポーランド生まれ 身長173センチ
4人兄弟の末っ子。
17歳で徴兵され、戦時中は英軍の捕虜として過ごす。
終戦後より演劇活動を開始し、1960年代ぐらいから映画俳優として大活躍する。
1991年11月23日カリフォルニアにて心臓発作で死亡。
映画出演作は主演から端役まで170本以上あるらしい。
娘に女優のナスターシャがいる。

・・・花園を飛ぶ蝶のような輝きのある映画スターというより、平和な食卓の上に突如現われた
銀蝿のような俳優です。見たくなくても、目が吸い付いちゃうっていうんでしょうか・・・。
原始人の格好で石器なんか持つと、似合いそうです。

独特の風貌を生かして(笑)、西部劇の悪役や、いかにも悪党なナチスの将校役、カルトなホラー映画の
殺人鬼の役、変態さんの役やポルノな映画にもお金次第でばしばし出演していました。
私のような悪役マニアには(汗)、ラブリーでたまらないキャラクターの数々を怪演しています。
さりげなく普通っぽい映画にも出ているんですが、なんかとにかく印象が強い感じがします。

そんな彼の個性がヴェルナー・ヘルツォークという監督の作品で、素敵に花開くこととなります。
「アギーレ・神の怒り」「ノスフェラトゥ」「ヴォイツェク」「フィツカラルド」「コブラ・ヴェルデ」です。
監督とは気が合うんだか合わないんだか(苦笑)、コブラ・ヴェルデの撮影中キンスキーが
ぶち切れたままコンビ解消となっています。切れると大変なんです、キンスキーさん。


この二人はかなり・・・喧嘩したり熱く語り合ったり殴りあったり、殺害計画を練ったりとか・・・・・・いろいろあったみたいです。
ノスフェラトゥのパンフレットには「ヘルツォークはキンスキーと仕事する時は、いつもポケットにナイフを入れていた」との話が載っています。
刃物も出てくるほどの熱い映画魂が、2人にはあったようです(・・・)。

キンスキーの死後8年たって、ヘルツォーク監督は
「キンスキー・我が最愛の敵」という映画を発表しています。
クラウス・キンスキーのドキュメンタリーです。
監督もキンスキーに負けず劣らず変人だというのが、これで
バレバレになりました。

極悪非道な狂人呼ばわりされつつも、キンスキーはそれ以上
の魅力があり、結局、監督を魅了しきってしまったんですよね。
彼の姿が再び銀幕の上に甦っちゃったのですから。

死して後、主演映画が作られてしまう。

そんな究極の俳優、クラウス・キンスキーってイイよね♪


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微妙な出演作リスト、全部表にしようかと思いましたが、膨大なのでやめました(おい!)
とりあえずは、入手とかできそうなものメインで・・・(基準曖昧)根性なしでスマン。
これ以上は映画の専門サイトへ行って発掘してください。ダメダメなファンです。


Kinski Paganini (1989) .... Niccolo Paganini
... aka Paganini (short title)

パガニーニ(1989) 監督/脚本/出演
Nosferatu a Venezia (1988) .... Nosferatu
... aka Nosferatu in Venice
... aka Vampire in Venice (USA)
バンパイア・イン・ベニス(1988) 出演
Cobra Verde (1987) .... Francisco Manoel da Silva
... aka Slave Coast
コブラ・ヴェルデ(1988) 出演
Crawlspace (1986) .... Doctor Karl Gunther
クロールスペース(1986) 出演
Kommando Leopard (1985) .... Silveira
... aka Commando Leopard
コマンドー・レオパルド<未>(1985) 出演
(コマンド軍団2)としてビデオあり
Creature (1985) .... Hans Rudy Hofner
... aka The Titan Find (UK: video title)
... aka Titan Find (USA)
クリーチャー(1985) 出演